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stygian

オリジナル小説をほそぼそと公開中。一部「#創作文芸:*.jp」に寄稿しています。現在休止中&内容改装中。

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短編小説『呪殺』



 その男は死んでいた。
 灰色がかった髪は半分以上後退し、その分広がった額には深く険しい皺が幾重にも刻まれたまま……剥き出しの双眸は虚空を見据えたきり瞬き一つ起こさない。大きく開かれた分厚い唇の合間から、毒々しいほどに赤い舌が除き、そこから伝い落ちた唾液が太い首に銀色の尾を引いている。
「とう、ちゃん……?」
 少年は男の肩に手をかけ、しゃがみこんで揺さぶった。
「父ちゃん! どうしたんだよ、父ちゃん!」
 引きつれた声で叫ぶ。
 父ちゃん! 何だよ、どうしたっていうんだよ。おきてくれよ。オレ、勝ったんだぞ。ケンカではじめて勝ったんだぞ。聞いてくれよ、オレ、すごかったんだかんな! おきてくれよ!
「なあ、父ちゃん……!」 
 やがて少年の手から、細い体から、いっさいの気力が萎えていった。
 吐き捨てられたガムの固まりがいくつもこびり付いた地面、捨てられた新聞の切れ端や空き缶、ところどころ地割れが目立つアスファルト……落とした視界に映ったそれらと、恐怖と苦悶に歪んだ表情で横たわる男とが、潤み歪んだ目の中でいっしょくたに混ざり合う。
 ふと、少年は気付いた。
「ケイタイ……」
 呟き、男の手に握られたままのブルーグレイの機体に目を向ける。迷ったのは一瞬で、すぐにそれをジーパンのポケットにねじ込む。
 のろのろと立ち上がり、握りしめた拳で乱暴に顔を拭う。死んだ男を見納めるように一瞥し、少年はその場から黙って立ち去った。

 



 居間のソファでうつらうつらしていた鈴音は、カクンッと倒れ込みそうになり、その反動で目を覚ました。
 靄がかかったような頭で、庭に面した大きな出窓から射し込むオレンジ色の光の中で時を刻む柱時計を睨む。時計の短針はすでに『5』を過ぎて半ばまできていた。
「やだっ」
 小さく呟いて跳ね起きた。夕飯の支度をしないと夫が帰って来る時間に間に合わない。慌てて今日のメニューを頭の中に描こうとし、鈴音は赤い光を見つけて動きを止めた。
「留守電だわ」
 夫からだろうか? 
 鈴音は首を傾げながらも受話器を取り上げ、再生ボタンを押した。

 一成は呆然として立ち尽くしていた。
 目の前には去年建て替えたばかりの彼の家が、無残に焼け焦げた姿で夕日の中に黒く浮かび上がっている。道路には消防車が2台と救急車が1台、野次馬という名の人間の群れに囲まれている。
 不吉なサイレンの音やひそひそ声が、小波のように閑静な住宅街に広がっている。
 その中で、白い担架が彼の眼を引いた。
「鈴音!」
 一成は弾かれたように走り出し、転げるようにして運ばれていく担架に縋りついた。その間にいた人間など眼中にはなかった。
「鈴音、鈴音、どうしたんだ! 何があったんだ!」
 落ちついてください。旦那さんですか? 一成……藤城一成さんですか? 大丈夫です、まだ生きてます。しっかりしてください。
 白い車の中に押し込まれるようにして乗り込んでからも、一成はただ妻の名を呼び続けていた。
 救急車のサイレンと赤い光点が、閑静な住宅街を風のように走り抜けていった。


 


 通勤ラッシュで混み合う新宿駅のエスカレーターを降りながら、石原満は器用に携帯のメールを打ち込んでいく。
『昼ゴーセイにいくけど来るか?』
『なんか新しい遊びねえの?』
『グレちゃんの新しい女ミツイデくんねえ』
『シキジマのやつマジもってくっかな?』
“敷島の奴、金持って来なかったらどうしてやっかな?”
 そのことを考えると満の唇はにやける。
 30万。
 1万や2万じゃないから親から借りるわけにはいかないだろう。そうするとあとは盗むしかない。あいつはやるだろうか?
 自問自答しながらも、満は確信している。あいつには無理だと。敷島は臆病者だ。真っ直ぐ前を見て歩くことすらできないような奴に金を盗むだけの度胸はまずない。
 となるとやはり奴は謝ってくるだろう。頭を床にこすりつけて、平身低頭して満たちに許しを請うのだ。
 だが、そんな程度では許してもらえるなんて思っていないだろう。当たり前だ。殴ろうか、蹴ろうか、それとも……? もっと効率的なのはどこかに閉じ込めて……プールに叩き落とすのもいいな。
 暗い愉悦に満の顔が歪む。
 満は心のどこかで敷島が金を持ってこないことを期待している。そうすれば今日も1日敷島で遊べるからだ。退屈な日常にはあきあきしている。やはり毎日は新鮮でなくては面白みがない。その点でいうなら敷島は実に新鮮で変化に富んだおもちゃだった。しかも金がかからない。
 慣れた動きで人込みを抜け、満は通いなれたバス乗り場へと足へ向ける。
 と、不意に耳をつんざくようなメロディーが鳴り響き、人々の視線が満に一斉に集中した。
 満は不快げに口をひん曲げると慌てる様子もなく制服のポケットから携帯を抜き取る。バスの乗車口で機械に定期券をあてながら、もう片方の手で通話ボタンを押した。
「はい」
 着信は見なかったがこんな朝早くからメールでなく電話してくる奴には一言文句を言ってやろうと思った。自然声は不機嫌だ。
「もしもし?」
 後部座席にどっかと座りこみ電話の奥に耳をすます。微かなざわめき以外は聞こえてこない。イタ電か?
 舌打ちして切ろうとした。
『30万は持ってかない……』
 満の動きが止まり、バスが動き出した。
『ぼ、僕はもうおまえの言いなりになんかならない』
「敷島、てめえくだらねぇこといってんじゃねぇよ、ウザイんだよ、おまえ。いいから金持ってこいよ」
『あぁあ、最後の忠告だったのにな』
 突然、耳の奥に木霊する声が変わった。知らない男の声、しかも馴れ馴れしく、どこか人をコバカにしたような響きが隠せない。
「あっ? なんだおめぇ? 敷島にかわれよ、オレはあいつに用が」
『敷島君にはないんだよ、それにもう関係ないしね』
 満の耳朶に、いやらしい笑い声がねっとりと粘ついてくる。
 おぞけが立った。
「てめぇ、何様だ!」
 満は怒りとそれを上回る気持ち悪さに声を荒立てた。バスの運転手が一瞬振り返ったのも、迷惑そうな視線がいくつもふりそそぐのも、全く気にならない。
『だってねぇ、君はもうすぐ死ぬんだから』
「なにっ」
 ふざけたこと言ってんじゃねぇ!
「てめぇ誰だよ。今どこにいる」
『ああ、もうすぐ時間だ。本当はこうやって君と話をするのは僕にとって禁忌なんだ。今回は特別料金でサービス満載だなぁ』
「てめぇ、いいかげんにしろよ!」
 叫んで満は通話ボタンを切った。
 手荒い操作で着信履歴を見ようとした。同時に先ほどと同じメロディーが流れ出す。着信は――非通知。
 満は無視して携帯を鞄の中に突っ込んだ。どうせ同じ奴だろう。そうでなくても今誰かと話したい気分ではとてもない。けたたましい音楽ががんがん流れ他の客には白い目で見られたが、満はそれらを完全にシャットアウトした。
『お降りのお客様は手近のボタンを――』
 学校の前だった。
「かったりぃな……」
 苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨て、だらけた歩き方でバスを降りた。放り込んだままだった携帯を取りだし、そこに『留守電をお預かりしております』の表示を見る。
 舌打ちして留守番電話サービスに電話する。長くてかったるい機械的な女の声を適当に聞き流し――
「……」
 満の目が虚空をさまよい、その眼が大きく見開かれた。携帯を耳に当てたまま、満は半歩後ろへ下がる。膝が折れ、半ば這いずるようにして。
「くっくるな、くるな! やめろ! あっちいけ!」
 叫びながら満の顔が恐怖に歪む。
 切羽詰った声に制服を着た数人の同級生が振り返る。
 おい、あいつやばいぜ。なんだ、イッちゃてんの? おい近寄るなよ、危ないぜ。目がイッてるよ、マジ。
 笑い、嘲り……だが、その声のどれ一つとして満の耳には届かなかった。彼が最後に聞いたのは、己自身の絶叫だけだった。





 くつくつと笑いながら土野健吾は歩き出した。特に行くあてもなく適当に新宿駅の近くをうろついていると、鈍い音を立てて彼の携帯が震えだした。
 無言で通話ボタンを押した。
『土野健吾だな?』
「――っ」
 健吾は息を呑んだ。
「だ……誰だ」
 掠れた声でそう尋ねた。一瞬通話を切断すべきかどうか判断に迷ったが、やめた。相手はフルネームで自分を呼んだ。その意味を考え、場合によっては始末しなければならない。と同時に、客である可能性が消えたわけでもない。
『高屋棗と言ってわかるか?』
“タカヤナツメ?”
 わからなかった。記憶にない名前であることは間違いない。
「知らないなぁ」
 できるだけいつもと同じように、のんびりとした声音で答えた。相手のペースにもっていかれてはおしまいだ、そう思える程度には冷静さを取り戻していた。
『なるほど、こちらの業界は素人か』
 健吾は今や完全に足を止めていた。
 道行く人々は彼をうろんげな目で見つめ、あるいは邪魔だというようにしてわざとすぐ横を通りぬけていく者もいる。
「おまえ、何者だ……?」
 健吾は声が震えるのを止められなかった。
 電話の向こうでくぐもった笑いがもれ、熱を感じさせない低いバリトンが短く告げた。
『おまえさんと同じ術者だよ。職種はちょっと違うがな』
 健吾は喉をごくりと鳴らした。歯の根があわず、かたかたと小刻みな音を立てる。
「術者が僕に、な、なんの用だって言うんだい?」
『……わかるだろう?』
 皮膚を冷たい氷で貫かれたような痛みと冷気を覚えるほどの声。
――コロサレル!
 思った瞬間に健吾の口は動いていた。
「カン・ダン・バサラ・マンダ・サン・ク・マ・ノウ・カン・ダン・バサラ・マンダ・サン・ク・マ・ノウ……」
『オン・ソワハンバ・シュダ・サラバ・タマラ・ソワハンバ・シュド・カン……』
 健吾の視界が何かによって遮られた。それを疑問に思う余裕などなく、ただひたすら健吾は念を凝らす。
 額には汗が光り、頬が強張りはじめた。足は震え、携帯を持つ手が寒さを覚える。
「カン・ダン・バサラ・マンダ・サン・ク・マ・ノウ!」
 通話口に叩き込むようにして叫ぶ。
 一瞬電話の向こうがしんっと静まり返った。
 健吾は荒く息をつぎながら反応を待った。
“やったのか……僕が、勝ったのか?”
 そう思った瞬間――
『……オンバゾロ・ドハンバヤ・ソワカ・オンバロダヤ・ソワカ!』
「ま、待ってくれ! 頼む、僕が悪かった、何でも言うことを聞こう、だから!」
『オン・ボク・ケン』
 衝撃が健吾を襲い、骨が軋み、肉が裂ける音をきいたような気がした。
「あ、あああ……」
 身体を支えることができず、健吾の身体はアスファルトに沈みこんだ。口からあふれ出た鮮血が、午後の日差しに綺麗に映える。


 ツー・ツー・ツー・ツー・ツー……


「終わったぞ」
 携帯の通話を切ると、棗は目の前の少年にそれを投げ渡した。
 少年はそれを上手にキャッチすると、何とも言えない表情でそれを握りしめた。
「それは捨てた方が無難だぞ。2度も呪殺の媒体になって道ができやすくなってる」
 少年は一瞬ビクリと震えたが、すぐに真っ直ぐな視線で棗を見上げてきた。
「でも、とうちゃんの物ってオレこれしかもってないんだ」
 棗は軽く肩を竦めて呟いた。
「好きにするんだな、オレには関係ない」
 少年は「うん」と頷いて、手にぶら下げていたランドセルを背負った。
「ナツメさん、ありがとな。とうちゃんのカタキうってくれて」
 出会ってからはじめてみた少年の生意気そうな笑みに、棗は低く告げた。
「本当の仇じゃないな。殺ったのは土野健吾でも殺害の依頼を頼んだ人間は別にいるぞ」
 少年は一瞬目を見張り、口を歪ませて笑った。
「知ってる。とうちゃんが死ぬとかあちゃんにたくさん金が入るんだ」
 棗は溜息を1つ。ひらひらと手を振って少年に背を向けた。
「『とうちゃん』に感謝すんだな、その金でおまえは食っていけんだから」



エピローグ

 新宿駅を出た所で、棗は自分の携帯を耳にあてた。救急車のサイレンの音が、群青色の空に怪しく木霊する。
『イッケンノメッセージヲオアズカリシテマス……』
 機械的な声が日付と時間を告げ、電子音の後に生真面目そうな男の声が続いた。
『――あ、わたし藤城一成と申します。その……』
 ざわめきと喧騒の中、棗は黙ってその話に耳を傾けた。
 留守番電話・携帯電話・メール・インターネット……世の中便利になったものだ。棗はつくづくとそう思う。まあ、そのおかげでこんな商売も成り立つのだが。


――あなたには殺したいほど憎い相手はいらっしゃいませんか? 相手の電話番号さえわかれば、あなたは何一つ手を汚すことなく、もちろん証拠など残さず、その憎い相手を抹殺することができます。つきましては……


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